2010年10月05日

「情報リテラシー」の重要性。

 小沢氏、強制起訴の件については、ブログ界、およびツイッターで、ずいぶんと感情的な批判を目にする。
 しかし、それらの主張の全てと言ってよいのが、「どこかから持ってきた(多分ネット上から)」情報を、コピペしただけの物であった。

 自ら思考せず、法制度に関する知識も無く、またたとえ法が不十分(私はコイズミによる司法制度改革は、従来の日本の大陸法体系から逸脱した突飛な物で、改善する余地が多いにあると思っている。)だとしても、既に法として施行されている物に対して、感情的で、しかも自分自身の言葉で無いコピペで持って他者を論難する姿勢を、強く否定したい。議論にならないからである。

 それらのコピペの元が、植草のブログであったり、売名行為を図る人間の物であったりする以上、それらは「言論」とはみなせない。ただの雀のさえずりにしかすぎず、社会に悪影響しかもたらさない。

 しかし、ことほどかように、司法制度や、検察。または検察審査会への不信が横溢しているのには、社会的理由があると思う。
 つまり、日本社会は、「不信」の社会になってしまっているのである。

 その根源的原因は、まさに、田中角栄逮捕以降の、自民党政治の腐敗と強圧的姿勢の結果、国民が何を信じて良いのかわからなくなっているのだと思う。政治への不信、マスコミへの不信、官僚への不信などなど。経済状況が20年に渡り沈み込んでいる日本において、一部の利権漁りの勢力の、無責任かつ、利己的な行動の結果、国民は何を信じれば良いのかわからなくなっているのだと思う。
 食品偽装や、耐震工事偽装の事件は記憶に新しい。それらも、「不信の社会」に」なってしまった原因の一つであろう。

 また、現代の問題として、インターネットの発達。携帯電話からもネットに接続できる環境・テレビの多チャンネル化など、現代人は、歴史上かつてないほどの情報の洪水の中に立たされている。その為、知識や経験の不足で、正しいと思われる情報を選別できない人は、単に好悪、好き嫌いの「感情」のみで情報を取捨選択すると言う状況になってしまっている。

 私事で恐縮だが、最近、地デジ対応と言うことで、新型のテレビを購入し、衛星放送なども受信できる環境になった。そうすると、まさに情報の洪水で、何を見るのか、悩まねばならなくなった。 
 CS放送で流れるアメリカで製作された番組は、この9月にあたって、いわゆる「9.11」の事件を繰り返し繰り返し放送している。特に論評はしていないが、この結果、アメリカ人は、アルカイダ、ひいてはイスラム圏への憎悪や復讐の念を新たにすることと思う。
 そのように、自分自身がしっかりと立っていないと、情報の洪水に流されてしまう。

 そして、この20年間、自民党の私利私欲による利権政治のツケが、国民に転嫁され、国民の多くが格差や貧困の問題に直面している今、国民は、半ば思考停止的に、垂れ流される情報の中から、自分の感情的好悪の念だけで情報を受け取ることになっているものと思う。
 さらにたちが悪いのは、そのような状況につけ込み、デマや真偽不明の情報を発信する、「陰謀論者」の存在が、国民から思考を奪い、安直な「悪者探し」に終始する思考形態を生み出している物と思料する。

 「陰謀論者」の主目的は、自分の本やDVDを売ることにあり、そのために、よりスキャンダラス、かつ意外性のあるネタを提供する。
 自分で思考することを放棄し、他者の言説をコピペするような人は、このような陰謀論者のたくらみに容易にはまってしまう。なぜならば、自分には理解しがたい事件や事象を、一見、明白に解明してくれるからである。

 たとえば、先進国の中で、日本だけがこの20年間、景気の回復が無く、貧困や就職難などの悲惨な状況が生まれている。それは、良く考えれば、コイズミ構造改革のような新自由主義(弱肉強食を是とする主義)の結果なのだが、コイズミのパフォーマンスに騙されて、コイズミを支持した日本国民にとっては、この不景気が続く原因を他に求めることになる。

 そこに、「陰謀論者」が、「アメリカの陰謀」、「ユダヤの陰謀」などの、真偽不明のまやかしの情報をネットで発信すると、迷える人々は、安直な回答として、それらに飛びつき、ひたすらアメリカや中国の悪口を言って憂さ晴らしをするという結果になっているのではないかと思う。
 このような、経済の困窮による時代に、陰謀論的言説がまかり通ると、昨日述べたように、第二次世界大戦時の、ドイツやイタリアのような、ファシズムの温床となる可能性が出てくるのである。

 今のところ、幸いなことに、日本は憲法9条により、対外戦争を禁じられており、自衛隊はあるものの、それを持って、暴発する可能性は少ない。
 しかし、同じ状況が70年前であったのなら、日本は戦争を始めていたかもしれない。いや、実際、暴発して、最終的には国土を焼け野原にされる惨禍を受けるはめに陥ったのである。

 「陰謀論」の蜜は、一見甘そうに見える。自分が懸命に考えなくとも、答えを用意してくれる。
 しかし、その陥穽にはまると、本来解決すべき課題が見えなくなり、やたらとどこかの誰かを敵として憎み、やがては、武力による暴発へとつながってきたのが、過去の歴史である。

 「陰謀論」の危険性は、その思考停止にある。自分で物を考えなくなり、他者の言説に踊らされるようになると、もはや、止めることができなくなる。

 植草や副島が述べていることを、もう一度冷静に吟味してほしい。何の論拠も証拠も無く、ただ、二項対立的に悪者を仕立てあげ、それを罵倒、攻撃することで成り立っている言説の異常さに気付いてほしい。

 大変難しいことだが、自分の頭でしっかりと物事を考えると言うことをしなければ、ただ陰謀論者の言説に流されて、間違った結論に達するだけである。
posted by ジャッカル at 18:30| Comment(0) | TrackBack(1) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

魔女は存在する
Excerpt: こんなエントリがあるので、ご紹介したいと思います。 「ネットの世論と現実の世論のあいだには乖離がある」 という、あたりまえと言えばそれまでのお話です。 とはいえ、このようなネットのリテラシーというのは..
Weblog: たんぽぽのなみだ〜運営日誌
Tracked: 2010-10-10 11:21
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。